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大学受験の記憶 後編

投稿日:2020年3月2日 更新日:

さて、それでは後編について書きたいと思います。
前編をまだ読んでいない方はこちらをチェックお願いします。

大学受験の記憶 前編

 




センター試験

そんなこんなで迎えたセンター試験、2日間の日程で例年は自宅と会場をそれぞれ往復するのですが僕が受けた年は大雪だったためなんとホテルに宿泊するという異例の受験でした。

期末試験や模試の朝食には験担ぎとしていつもラーメンを食べていた僕は、カップのミニサイズのチキンラーメンをこっそり持ち込みました。ホテルでも朝食は出るのに、カップ麺を持ち込んでいた僕はちょっと不思議ちゃんだと思われていたかもしれません。振り返ればこの頃からあまり他人の目は気にならないタイプだったのでしょう。

カップ麺のおかげでセンター試験はまずまずの手応えがありました。
のですが自己採点の結果、自信のあった英語と国語は思ったよりも低かったです。
すべての科目でも得点が7割程度だったと思います。
センター試験前の第一志望は筑波大学の社会学類でしたが、志望を変える必要性が出てきました。

 

二次試験

センター試験の自己採点の結果、センターと二次試験の配点を考え、僕は筑波大学の社会工学類を受験することにしました。
二次試験の科目は英語数学の2科目、1日での受験でした。
僕は高校を卒業するまで生まれも育ちも長崎だったので、筑波大の受験のために茨城まで来るのはちょっとした旅行のようなものでした。

楽勝の英語

まずは英語の試験、英語は得意科目だったので自信がありました。
過去問を3年分くらい解きましたが、どの年度もするする書けていたので数学が苦手な僕は英語を得点源に攻める戦略でした。
過去問の通り、本番の試験もするする読めました。
これイケるわ。
そう思いました。
受かる自信を持てました。

絶望の数学

焦りました。ぜんぜんできない、、、

大問4つのうち、それぞれの1問目を書けたのが3問(その先は書けませんでした)、何も書けなかったのが1問、試験前に過去問を5年分解きましたが、どの過去問よりもできませんでした。
これ終わったわ。
そう思いました。
落ちた自信がありました。

バスに乗らず3時間歩いてホテルへ

数学の試験を終えて敗北を確信した僕は、ぞろぞろと他の受験生が乗り込むバスに乗る気が起きませんでした。一人になりたかったんですね。バスは激混みなので乗れません。タクシーで帰るにも大学の敷地内を走っていないし(筑波大はめちゃくちゃ広いんです)、そもそもいくらくらい必要になるのかもわかりません。必然的に徒歩という選択になりました。
道もわからなかったのでとりあえず標識を見ながらホテルのある土浦駅を目指しました。

今と違ってスマホも持ってなかったのでGoogleマップを頼りに歩くということもできず、標識を頼りにひたすら歩きました。めちゃくちゃ歩きました。歩みを進めるたびに不思議と試験のショックは消えていきました。やはり運動はメンタルに良いんですね。(ちゃんとホテルに着けるのかという不安が芽を出し始めましたが、、、)

次第に夕方になり、土浦駅付近まで着いた僕は仕事終わりのサラリーマンの方に道を尋ねながら、3時間の遠足を終え無事にホテルまで帰ることができました。
はじめてのおつかいに出るちびっこたちの気持ちが少しわかったような気がしました。

 




合否発表と新天地

「完全に落ちた、、、」そう思っていてもやっぱり結果は気になるものですね。
PCの前に座り、そわそわしながら合否発表の時刻を待ちました。

いざ訪れた発表の時刻、筑波大の合格発表のサイトにアクセスすると

あれ?
ある、、、
あるな、、、
いや、昨年の結果かな
何度も再読み込みしました。年度の数字が間違いないこと、手元の受験番号と画面に映る受験番号に相違がないこと、何度も何度も確認しました。
合格したことをようやく理解した僕はなぜか泣いていました。涙のわけはわかりません。
泣くときはいつもその理由がわからないものです。
18年間生まれ育った長崎を出て新天地へと旅立つことが決まった瞬間でした。
大きな希望とともに、それは家族と離れて住むことも意味していました。
合格の安堵ともに、不安や寂しさなど複雑な心境も混ざっていたのでしょう。

そんなとき父が泣いている僕の肩を後ろからがしっとつかみ、「がんばったもんな」と震える声で言ってくれたことを僕は今でも忘れられません。
今の僕は受験生の子を持つ方々と仕事をする機会があるのでお話を聞きますが、親も緊張や不安を受験生と同様に、あるいはそれ以上に抱いているということがよくわかります。
当時は半年以上は寝る時間以外は家に帰らない、帰っても風呂と軽く夜食をとるくらいで家族と会話する時間もほとんどないという生活だったため、一人で戦っているような気がしていましたが、自分も親に相当プレッシャーを与えていたんだろうなと振り返れば思います。本当に親ってすごいですね。

点数を開示したところ、なんと合格最低点の1点上というすれすれのところでの合格だったようです。
「ギリギリでいつも生きていたいから」
と歌っていた伝説のジャニーズがいましたが、ギリギリで生きるというのはそれ以降僕のスタイルになり、大学生活もギリギリで生きていくことになりますがそのエピソードはまたの機会に

ここまで前編と後編にわたりお読みいただきありがとうございました。
現在大学受験の合格発表待ちで勉強が手につかない、あるいは猛勉強中でちょっと疲れた受験生の息抜きに、
自分の受験ってどんな感じだったっけと振り返る大人の方々の参考になったらうれしいです。

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